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​辺境文化研究所

​道東のことばと森と文化を探る

辺境文化研究所は、道東に息づく「ことばと森と文化」を探る研究所です。


 道東一帯は、政治・経済・文化の中心から遠く離れた周縁の地です。周縁・周辺・辺境という環境は、中心にいては気がつかないさまざまなことを教えてくれます。自然のこと、社会のこと、この国のこと、そしてその未来のこと。中心が混迷し行き詰まったとき、辺境が課題に輪郭を与え、道筋を指し示してくれることでしょう。

 というのも、辺境では中心が忘れてしまったり、いっとき熱中し投げ出してしまったりしたものが堆積し、今でも息づいているからです。辺境では大切なことは大切なまま残り、そこでは考え、感じるための貴重な時間がゆっくりと流れています。スロウシンキング&スロウフィールのなんと豊かなことか。ロゴス(言葉、文明)とピュシス(自然)のハザマに位置し拮抗している辺境が、思いもよらない気付きを与えてくれます。当研究所は、こうした辺境が教えてくれる知恵や文化を探る旅にあなたを誘います。

 辺境についての先人の思索を探り、歴史を調べ、森に入り込んで辺境の自然を全身で感じるという一連の体験は、「中心がもたらす価値」をいったん宙吊りにし、思考にみずみずしさと越境する快楽を与えてくれることでしょう。そこではジャック・ロンドンがフロンティアを語り、八重九郎がユーカラを唄っています。「ここではない場所」に越境する自由を獲得するには、辺境に足を踏み入れなくてはならないのです。そこであなたはきっと、辺境的とは「地図上の特定の辺鄙な場所」ではなく、ある種の文化的特性であることに気づくはずです(こんな勿体ぶった言い回しは好きではないのですが、現時点では自分の未熟さからこう言うしかありません)。

 道東の辺境性にはどのような特徴があるのか? そこに可能性があるとすれば、どのようなものなのか? そもそも辺境性が地理的・空間的特性から超越したものだとするなら、道東の辺境性はどのような普遍性を持っているのか?

 厳しくも大らかな北国の最果ての地から、言葉と自然を導き手として「越境のための辺境地」という魅力的で豊かな文化を探っていこうと思います。そもそも「ロゴスとピュシスの間にあるもの」とは人間のことであり、辺境とは人間を問い直す場所であることに、旅の終わりに気がづくことでしょう。
 
 この広大な土地と同じくらいスケールの大きなテーマを、無謀にも徒手空拳で探ろうとするのが当研究所「辺境文化研究所」です。研究所の拠点は私設図書館ツルイの小屋に置き、知的交流と研究の場としても開放していきます。

 さて、次に当研究所が扱う具体的な研究・活動テーマは以下のとおりです。

①辺境関連&AIR関連書籍の編集出版②辺境性と越境性の社会人文学研究(辺境文化史など)、③「ことばの森」探索(辺境を題材とした書籍収集&批評など)、④屋外活動と自然研究(湿原学、森林学など)、⑤民芸・創作活動(クラフトアート)&むらづくりという5つのジャンルからなります。

 もちろん一人では手に余ります。上記のテーマに関心がある方に当研究所はいつでも開かれ、協力を求めています。ご連絡をお待ちしております。

 辺境文化研究所 所長 松井和哉
 

​「ツルイの小屋」総研

 当総合研究所は、「地方と都市の循環的で持続的な共存」という来たるべき日本の未来像を描くべく2018年に創立された、いたってプライベートな総研である。研究員は所長1名。

緻密なデータ分析と地道な取材によって、都市ー地方のリアルをえぐり出すべく日夜活動している。当総研は外部委託調査は基本行なっていないが、所長の気まぐれで受けることがたまにあると聞いている。(「金額次第なんて、セコイこと言っちゃダメですよ、所長!」とエアー秘書の合いの手が聞こえる)

さて、前職でマーケティング全般、特に都市分析、消費分析、若年層分析を行ってきた経験から、何よりまず現在住んでいる「鶴居村」の現状と将来像を総合的かつ俯瞰的にみていくことにする。

◾︎村の財政状況

①「財政力指数」でみる

 企業の姿を正しく見るためには、経営状態についての客観的な数値の分析が欠かせません。会社四季報などに載っている数値、あれね。ROA(総資本利益率)やROE(自己資本利益率)、EPS(一株当たり当期利益率)といった数字弱い人には頭がキリキリする財務指標ってやつで会社の健全性や成長性を推し量れるありがたい指標だ。普通の人にはあまり関係ないが、就職する人やお金を貸す銀行の人、そして株買って小銭稼ぐぞウッシッシ、っていう投資家さんなどには必須の指標である。

 さて、一方の地方自治体はどうだろう。収入があり支出があるから、企業同様、指標がちゃんとある。その代表的なものが「財政力指数」だ。聞いたことない? 簡単にいうと、地方公共団体の財政力を示す指数(そのままやないかー)で、「基準財政収入額」を「基準財政需要額」で除して得た数値の過去3年間の平均値をいう。

 これだけじゃ分からんよね。一般に3割自治と呼ばれるように市町村の全税収の7割ほどは国のから分配される地方交付税が充当されている現実があり(残り3割が地方税ね)、この交付金額を決める指標の一つでもあるのが財政力指数だ。だからその重要性は理解出来るでしょ。それでは簡単に説明してみよう。

 察しのよい人なら分かるように、収入(この場合、税金ね)が健全に行政運営を遂行できる金額(需要額)とイコールであれば1.0でプラマイゼロ状態。しかし多くの市町村は当然ながら1.0を切っている。
 「基準財政収入額」とは、正確には地方税収見込額に75%をかけ地方譲与税を加えたものをいう。75%の妥当性はよう分からん。地方譲与税は一旦国が集めた特定の税金を分配したもので石油ガス譲与税、自動車重量譲与税など5種類ある。まぁ全体からみたら大したことはない。


 一方の「基準財政需要額」は調べてみると支出の実績でも、実際に支出しようとする予算額でもなかった。じゃあなにかというと「その地方団体の自然的・地理的・社会的諸条件に対応する合理的でかつ妥当な水準における財政需要として算定されるもの」らしい。具体的には市町村の消防費、土木費、教育費、厚生費、産業経済費、総務費などなどだが算定は人口と面積で出される。理想的な数値だから理論値ともいえる。


 では、鶴居村の財政力指数はどうだろうか。ウィキペディアでみると鶴居村の説明には、「農業従事者一人あたりの平均年収額は全国一位であり、一人あたりの平均所得が日本一高い村である」とある。曖昧な表現だが、農業従事者の一人当たりの収入も所得も全国一と言いたいのだろう(住民一人当たりで一位ではない。それなら港区も抜いてることになるからあり得ないじゃん)。いずれにしろ豊かな村と言いたいらしいのだが、参照データというエビデンスは掲載されていない。どうも眉唾っぽいが、よく人と話していると「鶴居村は裕福だからな」と言われることが多いが、こうした根拠が示されていない情報のせいだろうと思う。その後必ず「釧路と違って」と続く。近隣の都市釧路市は道東最大の都市ながら、炭鉱・漁業・製紙業という基幹産業が衰退・崩壊し、人口も近年帯広市に拔かれ長期停滞している。

 横道にそれた。問題の鶴居村の「財政力指数」だが、0.16。全国の平均値は0.51。北海道に限ってみると平均値0.27で179ある北海道の市町村で鶴居村は139位。財政力という点で低いのだ(2019年現在)。ちなみに1位は原発のある泊村で1.66、最下位は島牧村の0.08だ。


   この財政力指数では1.0を超える団体(地方自治体)を富裕団体とよび、0.4未満を過疎団体の一つの要件としている。財政力1.0以上は税収入などを財源として行政運営可能として地方交付税交付金がおりない。へー、そんな裕福な地方公共団体があるのかと思われるだろうが、そんな裕福なところは当り前だがほとんどない。都道府県では皆無で市町村でも先ほどみた泊村や六ケ所村のような原発交付金がジャブジャブ下りてるところか軽井沢町のような高級別荘地で固定資産税の収入がべらぼうにあるところしかない。


 一般的に豊かなイメージがある鶴居村の財政力指数が低い理由は色々あるだろう。まず東京23区に匹敵する面積の大きさとそこで暮らす人口の少なさによるものだ。いくら人口が少なくても面積が大きければ道路維持費や消防などは面積に見合った分だけ必要とされる。逆にいうと国からの交付税の割合が高くなるというわけだ。

 

 また税収の基礎となる法人税を支払う民間企業が、わずかしか存在しないことも理由の一つだろう。最大の企業群は、法人化を推し進める「酪農企業体」である。企業誘致を怠っているわけではないだろうが隣の釧路市ですら工場誘致が進んでいないのだから、人口2,500人の鶴居もおって知るべし、ということだ。今後、当研究所では発想を転換して、ソフト情報化と生活創造型産業へのアプローチを微力ながら進めていくことにする。

②村の謎?に迫る

 企業の財務指標もそうだが、一つで完璧な指標というものはない。複数の指標を比べ判断する必要がある。この市町村の「財政力指数」も、この数値だけで鶴居村の財政状況全てがわかるわけではない。そもそも地方交付税を算定するための一指標という役割が大きく、最終的に地方交付税を含む税収が「村の財政力」ということなのだからこの「財政力指数」が低いとしても、これだけで村の実体を正しく表しているということはできない(村の財政基盤が脆弱だということは事実であるだろうが)。


 それでは、他の数字も見てみることにしよう。

  手元の2021年「広報つるい」10月号に2020年度の村の決算が載っていたので見てみることにしよう。
一般会計の歳入54億5,858万円(前年比▲12.9%)、歳出53億8,123万円(前年比▲13.3%)で、8千万弱の黒字であることがわかる。優秀ではないか。
 村でも独自に「財政力指数」とは別の財政診断結果を掲載している。それが「財政の健全度」を示す4つの指標で以下のとおりだ。

 ①実質赤字比率(一般会計などの赤字割合)、②連結実質赤字比率(全会計の赤字割合)、③実質公費用比率(借金返済額の大きさを示す割合)、④将来負担比率(村の財政規模に対して将来負担が見込まれる負債などの大きさを示す割合)。

 結果は③のみが4.8%であとはゼロ%。いずれの数値も「とても健全な財政」であることを示している。


 しかし決算の円グラフをよくみてみると、歳入における自主財源11億4,764万円に対し依存財源43億1,094万円であり、鶴居村は3割どころか2割自治(自主財源が歳入の2割)であることがわかる。適正な交付税の割合がどのくらいかは簡単には言うことはできないが、依存体質の恒常化は自治の感覚を鈍らせるのではと危惧せざるを得ない。


 以上のことから村が自立していて豊かであるかどうかは別にして、今のところは将来に不安のない「健全財政」ということはいえそうだ。しかしそれも政府のさじ加減一つで大きく変わる可能性も秘めている。

 これまで見てきたように、村の財政が健全であることはわかった。次にわれわれが知りたいのは、鶴居村がウィキペディアでも触れられていたような「村民が豊かな村」であるかどうかということになる。

 住民の「豊かさ」を単純にみるには「一人当たりの歳入金額」、「一人当たりの税収金額」、「納税義務者の一人当たり課税所得金額」などを比較すればよいわけだが、残念ながらそのようなデータにたどり着くことができなかった。ただ調べるまでもなく、前に触れたように「住民一人当たりの所得」は決して高くないことは十分推測できる。年金だけが収入源の高齢者が多いため(ワシもそうだ)、平均をとれば高くなりようがないからだ。村民一人当たりの所得が全国一って、ここは港区なん? とまた同じツッコミを入れたくなる。

 そこで、少なくとも「農業従事者一人当たり収入あるいは所得、全国一」だけは検証してみることにした。「鶴居村は豊かな村」という風評の出元であり、今もネットに掲載されているからだ。


 全国市町村別の農業産出額の数字が見つかったが、農業従事者の人口で割らなければならないので、とりあえず北海道だけで試みた。そもそも北海道の農業産出額は全国1位の1兆円強なので北海道の中で1位であれば全国一と言っていいだろう。数字の扱いだが農業産出額(令和元年度)を農業従事者(平成27年)で割るので「一人当たり売上」に近い金額で、収入というわけではもちろんない。ここでネットの表現(収入)が厳密には間違っていることもわかる(もしかしてそのような数字が実際あるのかもしれないが、私には見つけることができなかった)。


 さて、結果である。煙のないところに火は立たない、ということで全くの嘘ではなかった。1位が産出額99億9千万で従事者219人、一人当たり4,562万円の新得町、2位が207億4千万で473人、一人当たり4,385万円の上士幌町、そして3位が我が鶴居村である。


 農業産出額102億6千万、農業従事者252人、一人当たり産出額4,0714万円である。産出額とは漁業の水揚げ金額のようなもので、本来はそこから必要経費となる諸経費を差し引き、税金も控除しなくてはいけない。そのうえ酪農中心の事業体は、肥料購入費やヘルパー人件費などの必要経費率が高い上に、トラクターや牛舎などの初期投資から生まれる借入金がかなり多いことが予想される。それでも、一般的に言って「農業従事者が豊かな村」であることは間違いない事実ということができる。


 この地で酪農を始めた先人は、先見の明があった。「陸の孤島」と呼ばれた地で、たった150年くらいで豊かな生活を保証する産業を確立したのだから。先人に敬意を証して、この文を閉じることにする。


 

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